青 空
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 私は妻に転勤の話をした。さすがに「閉鎖予定の出張所」に行かされる、とは言えなかった。
「京都の山奥? 何もなければ『単身赴任ね』なんて言うところだけど、この際、家族丸ごと引っ越すのも悪くはないんじゃない? 真人だって、学校には居辛いだろうし。真人がその子をいじめていたのは周知の事実だったようだけど、さすがに自殺騒ぎのあと何日も休んでいたら、やっぱり真人が原因だったんだってみんな思ってるだろうし」
 引越しや転校には反対ではない。だが、私は悔しかった。そもそものきっかけが真人のための転居ではなく、とばされるてやむをえずのことだからだ。

 我が社は体制の強化と合理化を同時に進めるために、支店や出張所の整理統合を行っている。ありがちなリストラと言われればそれまでだが、統合された支店は増員されているのだから、いわゆる人員削減ではない。
 取引先のすぐ近くに何らかの拠点があるのが強みだった時代は、もう終わっているという判断によるものだ。ITを駆使することも外注することも出来るのだ。
 一箇所に有能な者を集中配備した方が良い仕事が出来るのは道理である。
 そこで、県庁所在地以外の拠点は全て廃止することになったのだ。
 ただ、いくつかの出張所が経過措置として残されていた。福知山出張所はそのひとつだ。
 理由は簡単である。あの付近には、日本海側に県庁所在地がないからだ。西から順に、島根、鳥取、兵庫、京都、福井、石川、富山と続くが、兵庫と京都の県庁所在地が日本海側に存在しない。そこで北近畿地区をカバーするのが福知山出張所である。
 しかしそれも経過措置である。だから福知山出張所では、日常業務の他に、自エリア内を鳥取、兵庫、大阪、京都の各支店に引き継ぐための準備を整えるというのが重要な仕事だ。
 こんなつまらない仕事はない。自分の領分を明け渡すために日夜業務を遂行するのだから。
 これが出世街道を驀進中であれば話は別だ。首尾よく業務を完了すれば、次は新たな使命を帯びてどこか重要なポストが待っている。しかし、左遷されて行く者の運命は全く異なる。さらに寂れた部署に追いやられるだけである。ひとつひとつ仕事を完了させるにつれつまらない部署に配属されるのだ。

 ちなみに、出張所の位置づけは「販売部」である。支店は「本社」−「支店」という関係になり、支店の中に営業だの総務だのの部署が設置されるのだが、出張所はそうではない。ショールームや店舗と同じ扱いなのである。
 福知山出張所は大阪支店の管轄下にある。私が「福知山出張所」の所長ということになれば、直属の上司は「大阪支店・販売部・第2販売課課長」になる。第2販売課は近畿圏のショールームやショップ、出張所を管轄する。大阪支店を拠点に活動するのが第1販売課だ。
 つまり、現在課長である私は、肩書きではほぼ同格の「出張所長」になるわけだが、しかし、今の私より格下の課長の、その下につくわけである。あきらからな左遷だった。

「気が進まないんだったら、断ってもいいわよ。真人のことは別に考えましょう。校区ひとつかふたつ分だけ引越しをするの。あなたはそのまま仕事を続ければいいわ。通勤には支障ないでしょう?」
 浮かない顔をしている私に妻が言った。
「いや、断ることは、出来ない。選択肢はないんだ」
 もし選択肢があるとすれば「退職」だ。
「そう・・・・。じゃあ、せめてそんな沈んだ顔はしないでちょうだい。息子も旦那も落ち込んでいるんじゃ、わたしもやりきれないわ」
「そうだな、すまん」

 翌日から2日間で引継ぎを済ませた私は、一週間の休暇をとった。
 休暇願いは簡単に受理された。
 聞けば、福知山出張所の出張所長は半年も前から空席になっており、主任が出張所長代理ということになっているらしい。従って、私の赴任が遅かろうが早かろうが業務に支障がない。
 つまり、私はそのようなところに行くわけだ。
 女子社員は私のことなど見向きもしなくなった。

 福知山での新しい住処は、とりあえず電話一本で手配できるマンスリーマンションを一ヶ月分手配した。現地に入ってから不動産屋を当たろうということにしたからだ。
 転校の手続きをする間、もうしばらくは今の住居での生活が続く。
 そして私と妻と息子は今夜も、加害者の会の一行と一緒に蓑田君の家を訪ねた。あれから毎日蓑田君宅訪問は続いている。
 引継ぎ以外はさしたる業務がなくなってしまった私は定時に帰宅し、夜は妻と息子を伴って出かけていた。今日からは一週間の休暇だから、ますます通いやすくなる。が、チラホラと欠席者も出始めていた。
 それもやむをえないだろう。仕事や家庭の色々な事情がある。
 そして、我々の内部にも、異論が出始めていた。
「子供たちのためには本当にこれでいいのか?」というのである。
 自殺にまで追い込んだいじめの責任は重い。が、その家に毎日出かけて行って死者が蘇るわけではない。それどころか、未来があるはずの生きている子供たちは、級友を死なせてしまったことで心の底に沈んだ澱を抱えたままなのだ。これに対するケアの方が大切ではないのか、というのである。
 私はその意見に賛成だ。
 死んだものは仕方ない。
 死を選んだのは本人だ。
 我々の子供たちは、殺人を犯したのではない。いじめただけである。
「それに、蓑田君のあの父親、あの態度はどうかと思いますがね」と、私は言った。
「どうか、と言うのは?」
 聞き返してきたのは、毎日の訪問に一番強く疑問を唱えていた堀内だった。
「毎日頭を下げる我々に、まるで念仏を唱えるように『うちの子はもういませんから。どんなことをしたって戻ってきませんから』の繰り返し。そんな所に子供たちを連れて行っていい影響があるわけないと思えないんですよ。少しは我々の詫びの気持を受け入れてくれたっていいんじゃないのか、とすら最近は思います」
「ふ。そんなことを言ってる父親に育てられた子だから、お宅のお子さんには反省の態度が見られないんですよ。それで許しを乞おうだなんて態度が現れてるから、蓑田さんもいつまでたっても心を開いてくれないんです」
 発言をしたのは倉敷という蓑田君のクラスメイトの母親だ。日参の引き際などを何人かが口にしようものなら、普段は発言をしない彼女が必ず何か言ってそれを一蹴する。
 自殺の原因を作ったのがいじめなのは明らかだから、そう言われると誰も反論できなかった。
 しかし、私はほとほともう愛想が尽きていた。
 伝わらない誠意を伝えようとするのはナンセンスだ。
 蓑田君の父親が固く心を閉ざすのならそれはそれでいい。そういう生き方を今後ずっとすればいい。
 だが、毎日頭を下げに通う者達の気持を察し、社交辞令でもいいから「あなた方の気持ちはよくわかりました」などと口にするべきだと私は思う。
 倉敷の母親の台詞ではないが、「親がそんなだから、あなたの所の子供はいじめられたくらいで死ぬんですよ」と言ってやりたくなる。
 それはともかく、私は個人的な引き際を考え始めていた。

 4日目の朝、妻は「早く引越しをしましょう」と言った。
 転校の手続きは今日、完了するはずである。私は久しぶりに会社に行き、通り一遍の挨拶を済ませて、荷物を全て片付けた。福知山の出張所と新しい住まいとに区別をしてそれぞれ発送の段取りをする。その足で、福知山での仕事に関係しそうな取引先に挨拶回りをした。
 取引先には事情をうすうす察している所もあったが、そのことには触れずに、ありきたりのやり取りが行われただけだ。そう、それが大人というものだ。

 そして、夜。
 堀内が口にした。一向に態度が変わらない蓑田君の父親についに業を煮やした、といったところだろう。
「蓑田さんには誠に失礼なものの言い方になりますが、他の方々はともかく、私どもがお詫びに参りますのは今日が最後になります。このままでは息子はいつまでも学校へ通うこともままなりませんし、実は引越しをして転校することになりました。私の勤めのこともありますので、そう遠くへ行くわけではありませんが、これを機に毎晩お邪魔するのも遠慮することにいたします。一周忌など折に触れては線香をあげさせていただきたいとは思いますが、私どものお詫びの気持はこれで精いっぱいなのです。どうか事情をご賢察下さい」
 タイミングを逃すと言い出しにくくなる。その後に、私も続いた。
「実は私も同じようにご挨拶を差し上げねばなりません。私の場合は転勤です。京都の福知山という所に行くよう辞令が下りました。蓑田さんのお心が癒えないままにこの場から失礼するのは心が痛むのですが、どうかご容赦下さい」
「ああ、どうぞ。これ以上のお心遣いは無用です。毎日通ってくださっても、亡き息子が蘇ることはありません。せっかくの皆様のお気持を受け入れることは出来ないのです。それどころか、毎日みなさんの、ことに生きておられるお子様方を拝見することは、耐え難い苦痛です」

 不毛のやり取りは、急展開した。
「決して、許す、とはおっしゃってくださらないんですね」
 その台詞はいくらなんでも急ぎすぎるぞ、と私は思った。我々の心が真に解放されるには確かにその一言が必要だろう。けれど、まだ息子を自殺で失って一月もたたない親に言う台詞ではない。
 性急な発言をしたのは、一行の中で一番堅物な様相を呈していた倉敷の母親だった。
 日参の引き際を相談し始めると、決まってそれを否定していた彼女から、そんな言葉が飛び出すとは思ってもみなかった。
 しかし、その一瞬後、私は全てを理解したような気がした。
 彼女はただ、「許す」という一言が欲しいがために、なんとしても毎日通うべきだと考えていたのである。おそらくこの中で一番苦しんでいたのは彼女だったのではないか。
 ナンセンスだの不毛だのといったある種合理的な考えを私はしていたのだが、彼女にはそれができなかったのだ。出来ないがゆえに苦しみ、唯一の救いである「許す」というたったそれだけの言葉を求めてやまなかった。
「許すも許さないもありませんよ。第一、どうして私があなた方を許さなくてはならないのでしょう?」
 無表情で無機質な態度をとり続けていた蓑田の目が、この時初めてギラリと輝いた。
「あなた方を許せば、息子は戻ってくるのでしょうか? いいえ、戻っては来ません。もう元に戻ることはないのです。そもそも私は、あなた方を許さないだなんて、初めから思ってはおりません。できれば恨んだりしたくないと思っているだけです」
「それでは、蓑田さんは私達のことをずっと恨み続けると・・・」
 倉敷はすがるような目をしていた。
「出来れば恨みたくなどない。けれど、恨まずにはいられない。そうでしょう? あの子だって馬鹿じゃない。自分が死ねば私達が悲しむことぐらい知っています。それでもなお、死を選ばずにはいられなかった。そんな追い詰められた気持を思うと、私たちは夜も眠れないのです。後悔もあります。親として、どうして気付いてやれなかったのか。そう思うと、自分自身さえ恨めしく思えます」
「ああ、ああ、恨んでいらっしゃるのですね・・・」
 倉敷は、ひぃ、と声を上げ、それから大声でわめき始めた。いや、わめいたのではなく、それは泣いているのだった。
「私もみなさんの顔を見るのは辛い。けれど、息子の冥福を祈ってくださるのならと思っていました。けれど、許しを乞う、そんなお気持でおられるのなら、どうかこれっきりにしていただきたい。私があなたがたを許すなどということは未来永劫ありえないのです」

 いくらなんでも、そんな言い方はないだろうと私は思った。
 この親は、本当に人の気持がわからない奴なんだなと私は腹が立った。
 我が子を失った悲しみ、それは我々にはとうてい理解できないかもしれない。だからといって、その原因を作った者達が苦しまないとでも思っているのか? 平然と毎日手を合わせに来ているとでも?
 冗談じゃない。
 これ以上ここにいたら、私まで頭がおかしくなりそうだ。もしかしたら感情に任せてとんでもない発言をするかもしない。私は中座することにした。
 腰を上げながら妻に目で合図し、真人の肩を叩いた。
「行こう」
 最近、似たような場面があったなと思った。そうだ、学校に呼び出されたときだった。
 あの後、「私も同じ気持だったけれど、あなたのああいう態度が反感を買うのよ」と妻に注意されたっけ。
「あ、萩原さん」と、蓑田が私を呼んだ。
「なんでしょうか」
「それから、堀内さんも。転居なさるのは仕方ありませんが、連絡先は残して置いてくださいね。補償問題とか、これからいろいろとあると思います」
「な、なにい!」
 私は思わず叫んだ。
「いったい何の補償だ! 詫びに伺っているその最中に、そんなことを口にするなんて不穏当にもほどがある! そんなことは弁護士でもヤクザでもなんでも通じてやってくれ。遺書があったかなんだか知らないが、そもそも自殺原因の解明だって完全に済んでいるわけでもなかろう! 私は逃げも隠れもしない。刑事責任があるとでもいうのなら刑務所にでも何でも行ってやる! 金を払ってあんたの気が済むというのなら最初からそう言えばいい」

 ついに私は感情にまかせて思っていたことをぶちまけてしまった。
 これで何もかもパーだ。
 少しばかり席を立つタイミングが遅かったようだ。もう少し早く中座していたら、こんなことを言わなくても済んだであろう。



 

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