遠い思い出  by 初老





 




 もう40年も過ぎて時効だと思うので投稿してます。私が24歳のころの話です。

 同じ会社に、部署は違ったが気になる女性がいました。
 知り合うきっかけも無くて悶々としていたら、飲み会が企画されたんですね。

 今風に言えば合コンってやつです。
 くじ引きで席が隣に決まった時、「もしかしたら」と勘が働きました。
 話をしたら私の名前を知っていました。驚いたと言うかすごく嬉しかったですね。

 それからは気軽に話が出来るようになり、付き合う仲になりました。

 お嬢様大学出身なので裕福な家庭で育ったんだろうなと思っていたら、案の定、父親はある地方の名士でした。
 私も彼女も、結婚を意識して付き合っていました。フリーセックスなんて言葉もあったけど中々結ばれなかったですね。

 結ばれたのは彼女のアパートで僕の誕生日を祝ってくれた時です。私は線路沿いの安いボロアパートだったので……。

 童貞と処女だったから上手にできなくて時間がかかりましたね。
 しっかり結ばれたとき、彼女は涙を流していました。
 それを見て、私は「結婚して幸せにしてやるぞ」と堅く誓った記憶があります。

 彼女の家に挨拶に行ったのはそれから一年後。母親は気に入ってくれましたが、父親がだめでした。
 一人娘で跡取りだから婿養子じゃないとだめだと言うので、私は長男で無いから大丈夫ですと話しました。

 すぐに認めてくれるとは考えていませんでしたが、3回目に行ったときに言われた言葉が決定的でした。私のことをいろいろ調べたらしく家柄や家庭環境を問題にされたのです。

 父は大工で母は専業主婦。父が、仕事での怪我が原因で働けなくなってからは、母が働いて兄と私を大学まで行かせてくれました。
 兄も私も、アルバイトをしたり奨学金も借りたりしましたが……。世間では一流と言われてる大学を卒業していましたが、頂点ではありませんでした。

 結局、結婚はできませんでした。あの時代は親の権限が強かったから仕方なかったのです。
 それから間もなく、彼女は寿退社と言って実家に帰ってしまいました。別れのときは二人で泣きました。

 それから半年後、彼女から「会って欲しい」と連絡があり、まだ気持ちの整理ができていなかった私は喜んで会いに行きました。
 聞きたくはありませんでしたが、結婚が決まったと言われたときは、私の何かが崩れた感じがしました。それも一週間後です。食事の後、駅まで送ろうとしたら翌日の切符を見せられたので私も理解しました。

 ラブホテル的なところも在ったけれど、私のアパートに行きたいと言われたので連れて行きました。
 別のアパートに引っ越していたから良かったです。思い出を振り切るために変えていました。

 その夜は何度も求め合いました。
 ほんとにこれが最後かと思うと辛かったです。

 それから一年後、突然彼女から手紙がきて、中に彼女と赤ちゃんの写真がはいっていました。
 読んでいるうちに、嬉しさと怖さを感じましたね。元気な男の子で、名前に僕の一字を使っていました。

 そう、彼女は僕の子を産んだのです。父親への復讐みたいなことが綴られていました。
 その写真は、今でも大切に綴じています。勿論、妻には内緒で。

 結局、子供は一人だけですが立派な跡取りになっているそうで、毎年、年賀状で報告してきます。
 3人の孫にも恵まれて幸せとのこと。

「私と結婚できればもっと幸せになれたのに」と書いてあったので「それは違う。あなたも私も今を大切にしましょう」と返事をしました。
(心に残る最高のセックス掲示板より 2012年9月16日)

 
 好きな人と一緒になることを許されず、せめてもの反抗と、本当に好きな人の子を宿し、産み、育てる……。果たしてそれが、心の満足につながるのか、むなしいだけの反抗でしかなかったのか……。投稿者サンの「あなたも私も今を大切に」が、せめてもの救いですね。

 
前へ   もくじ   次へ


アナタもエッチな体験をここで告白してみませんか?