40男の性生活  by 名無しさん





 

   僕は今ちょうど40歳になりました。1988年に三田の大学を卒業をして、ある大手の商社に入社しました。まだバブルの一番盛んな年で、3男坊の僕は父親の突然死で、六本木のあるビルを遺産相続で貰いました。
 子供は上に男性が二人、女が二人で、僕が末っ子で遺産相続もある大手の信託銀行が全てを仕切り、全部の財産が幾らあるのかも知りませんでした。
 幸いな事に、六本木の商業ビル(貸し室で40室の部屋がありました)で、時価は幾らか知りませんでしたが、相続税もすべて支払い済みのものでした。

 大学時代の親友に住宅会社の人間がいるので、そこを再開発したほうが儲かるよと言われて、30億円位を借金して10階建てのビルに変えました。1991年にビルは完成しましたが、そのころからバブルが崩壊してきて、僕も借金を支払うためにそのマンションを手放して、ほかに新宿に小さな貸しビルだけを残しました。

 そのころにはもう豪華な生活は諦めて、堅実に生きていました。職場の新入りの女性と2年間付き合い、1993年には結婚しました。まあ不可もなく可もないという女性で、それでも3人の子供が次々と生まれて僕も幸せな毎日でした。

 商社マンですから、転勤で外国での生活も数回味わいました。
 妻も協力してくれて、ロスに2年、ロンドンに3年、最後にはニューヨークに3年いました。2001年には東京に戻りました。そこでは課長に昇進していました。
 子供がどんどんと大きくなり、新宿の小さなマンションも借りる人が多く、月に100万円位の収入はありました。僕は会社の収入があるので、家賃はすべて妻の持っている銀行に振り込ませました。

 段々と妻との夜の生活が少なくなり、僕は赤坂のクラブのママにすっかり魅せられて、ほとんどを彼女の赤坂のマンションで過ごし出しました。妻も月々の生活費が100万近くも入るので、自分の両親に子供を預けて、親友と旅行をしたり、ダンスに狂いだしました。まあダンスはパートナーがいるので、その中年男性に狂ったようで、性生活もその人中心になりました。
 僕も商社マンが嫌になり、独立をすることにして、そのころから流行り出したタイ式マッサージの店を始めたのです。タイで知り合った女性が支援をしてくれて、約1億円を掛けて最初は白金に出しました。
 直ぐに女性誌などに取材を受けて、物凄く人気店になり、芸能人や政財界の奥さまなどセレブ御用達になりました。値段も最初から少し高かったので、銀座と新宿に働く女性を意識してお安いエステサロンを開くとこれも大当たりで、連日行列ができる程の人気店でした。

 子供も段々と大きくなり、親権を二つに分けて離婚をしました。妻には離婚の慰謝料として1億円は支払い、新宿のマンションの権利も半分は残してやりました。本当はお相手の男性も六本木でビルを持つオーナーでしたので、離婚訴訟でそんなに払わなくても弁護士がいいましたが、3人の子供の面倒を掛けたので、気持よく支払いました。
 離婚すると赤坂のママも利用価値が無いと思ったのか、簡単に別れました。子供は女の子が二人は僕が引き取り、小田急線の参宮橋に住む、実の母親に面倒を見てもらいました。

 仕事も軌道に乗り、久しぶりにアメリカを旅行しようと、会社に1か月の休暇を貰い、最初は西海岸から、あとは東に行きフロリダから、ニューヨークまで一人旅を楽しみました。
 もちろんお金は使い放題なので、ラスベガスやフロリダなどでは娼婦を買いセックスも楽しみました。ニューヨークには昔の女性が住んでいるので、そのマンションを訪ねましたが黒人の男性と結ばれており、お付き合いは無理でした。

 セントラルパークそばの「リッツカールトンNY」のスイートに宿泊を決めて、好きなミュージカルや、ジャズのお店に行ったり、散策と美術館めぐりや博物館にも行きました。毎晩美味な日本食も頂きましたが……。
 その夜はミュージカルで楽しみました。幸いに最高の席が手に入り、あまりに内容が素晴らしく面白く大感激でした。夜の11時ころに終わり、外を出てゆっくりとお酒でも飲もうかとぶらぶらと散歩をしました。ニューヨークの5月は新緑で気温も昼間は20度近くで、夜は5,6度まで下がります。
 二人の綺麗そうな日本人女性に道を聞かれました。「エンパイアステートビルに行きたいのですがどこに行けば?」と言いました。
 その瞬間に黒人の背が2m近い男、3人に襲われたのです。
 僕は小学生のころは柔道、中学生から高校まではボクシング、大学生のときには空手を習っているので、喧嘩で一度も負けたことはありません。身長は168pと小柄なんですが、いまだにスポーツジムで週に3日は通い鍛えているので、身体は胸も背中の筋肉も20代の頃と変わりません。
 2メートルの黒人3人が、その日本人女性を目的に襲って来たのです。僕は咄嗟に飛びついて、3人を物の4,5分ぐらいで倒しました。夜のマンハッタンは危険ですが、すごい手際に周りのアメリカ人から拍手を受けました。

 当然のことで二人の日本人女性は口を真っ青にして、ブルブルと震えていました。
「僕は公園近くの五番街まで帰りますが、貴女達のホテルはどこですか、タクシーで送りますよ」と言い、タクシーを止めて乗せました。
 このあたりはその時間はタクシーは停まらないのですが、昔を思い出してある道に連れていき乗せました。「ヒルトンホテルです。1週間の休暇を貰って来て今日で2日目なんです」と言います。
 可愛いOLで、年齢は27,8歳でしょうか。「僕は仕事でニューヨークは3年ばかり住んでいたので、ほとんどは判りますので、色んなところをご紹介しますよ」とお答えしました。

「すっかり動転してしまい、本当にお礼に部屋にきてお茶かお酒でもいかがでしょうか」と誘われました。
 ヒルトンホテルとリッカールトンは歩いても5分と掛かりません。
「それじゃ一人旅で目的を決めてないので、立ち寄ります」と部屋に着いていきました。
 最初は部屋にある小瓶のワインを飲みましたが、物足りずルームサービスにシャンパンと白ワインの銘柄を決めて注文しました。おつまみも、キャビアやフォアグラなどを頼みました。僕が支払いますので。二人にとっては夢のような感じでした。

 お風呂場に行き普段着に着替えて戻ります。普通のTシャツにジーンズ姿に戻ります。二人ともに大学時代の親友で、今までの恋人もすべてを知りあう仲でした。Tシャツの胸の膨らみも大きく、たぶんCかDサイズはありそうでした。
 二人ともワインやシャンパンに酔い出して、話が弾みます。
 酔っぱらって、スイングジャズが流れると「踊ってください!!」と頼まれます。妻がダンスに夢中になっていたので、とても踊ることはしませんでした。
 女性二人が抱き合って踊り出します。シャギーヘアが流れて、夜の都会らしい雰囲気です。見ている前で女性同士でキスをしながら踊り出します。レスビアンなのかも知れません。

 椅子の上から突然に引っ張り出されて、ベッドルームに連れて行かれます。いきなりTシャツとジーンズを脱ぎ棄てて、裸になります。
 突然のことに呆然とします。
「お願い、貴方も脱いで参加してください」
 いきなりの成り行きにびっくりでした。

 二人はそのゴージャスな裸身を惜しげもなく、酔った勢いで全身を見せます。30歳近いのですが、ほんのりとピンク色に染まった円錐形の乳房はブラジャーからの拘束を解かれて、瑞々しく息づき、淡い恥毛はに彩られて女の膨らみが目に入ります。
「オンナの裸が珍しいんですか?」と聞かれます。
 僕も思い切って裸になりました。完全に裸身を晒すと、女は声にならない驚嘆の吐息を洩らし、全身をわなわなと震えます。
 僕は自慢の肉棒を右手に握り占めて、これ見よがしに摩擦を加えて仁王立ちになりました。
「しっ、信じられないよ〜。そんなに大きいなんて〜」と二人ともに仰天です。
 アキコとマユコは二人ともに、最近恋人に捨てられて傷心の旅だったのです。

 ダブルベッドに二人を並べて、棚から牡丹餅のこのチャンスを楽しむことにしました。日頃からのセックステクニックを、すべて吐き出して絶妙な舌遣いで二人の性器を舐めまわします。
 アキコもマユコもかなり性的には熟してはいます。
 二人の亀裂からは女の肉汁が溢れ出て、それを指先にまぶし、極限までに膨張したクリトリスを擦ります。かなりのハイレベルの愛撫で二人ともに、指だけで一度はイってしまいます。

 女性は構造上、前から見るのと後ろから見るのでは、全く趣が変わります。前からだとヘアに彩られて膨らんでいますが、後ろから見るとグロテスクなまでに構造が見えます。
 二人をレスビアンのスタイルで寝かせて、抱きついた身体のマンコを同時に陰茎を入れて、5分ごとに入れ替えます。
 アキコのアソコは締まりがいいし、マユコの膣はうねうねと肉壁が締めつけます。高々と腰を上げるアキコ、下になったマユコもヒップを突き上げてペニスの挿入を待っています。

「どこに入れてほしいのか、言ってごらんよ〜」と意地悪を言います。
「アソコよ〜、アソコッ」「アソコってどこかなあ〜」
「もっとどこに入れてほしいのか、いいなさい」と命令します。
「意地悪ねぇ〜、マ・ン・コよ。」恥ずかしげもなく女性器を表す四文字を強制的に言わせました。

 膣口からオンナの溶液が、独特の甘酸っぱい匂いを撒き散らしています。天を突く様に屹立した肉棒に右手を添えて、最初はアキコに挿入します。
「ああっ、熱いのが当たっているよ〜〜」と叫びます。
 マユコも挿入されていないのに、身体の重みで甘い声を出して秘肉を震わせえて、うわごとのように「ぐいっと犯して〜〜ぇ」と叫んでいます。

 充血した陰唇を引き裂く様に入ると、流石に柔軟性のある肉路も、太さで痛みが走ります。アキコは一瞬は腰を引きますが、得もいえぬ快感に痺れて、気が遠くなりそうになりイキマシタ。一瞬のうちに引き抜いてマユコに挿入します。
 特大ペニスを膣奥に誘いこんでから、ヒップを突き上げ、引き戻し、膣口にぴたりと密着させて、はした無く腰を前後に動かしました。
「ああっ、そんなことじゃイッちゃうよ〜〜、イクよ〜〜、イクッ」
 次第にます括約筋に負けじと肉棒を往復させました。二人のピストン運動が頂点目指して、一層と激しさを増します。

「アアッもうダメだよ〜〜、イクよ、イクよ〜〜〜〜」
 二人は異句同音に「イく〜〜っ」と叫んで、溜まりに溜まっていた白濁液を彼女の坩堝の中にぶちまけました。
(熟年セックス体験告白掲示板より 2008年5月27日)

 
 色々と経歴が書いてあるわけだけれども、要するに今は、お金には困っていない男が、海外でええ思いをした、というエピソードなわけですね? 暴漢に襲われそうになったところを助けたとか、その女性たちがたまたまフラレた直後だったとか、色々偶然が重なったにしろ、いわば旅先でのアバンチュール。40になって、こんないい思いができるのって、いったい男の中の何パーセントなんでしょうね。

 
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